モヘンジョダロの遺跡が語るもの
古代史研究家であるイギリスのデヴィッド・W・ダヴェンポートとイタリアのエットーレ・ヴィンセンティの二人はインドの古文献を研究する途上、「マハーバーラタ」、「ラーマーヤーナ」、「リグ・ヴェーダ」等の叙事詩に限りなく核戦争を思わせる記述を発見した。
インドの叙事詩、「マハーバーラタ」は現在の形が確立したのは5世紀頃といわれるが、物語になった歴史的事実はそれよりもずっと古く、口述伝承されてきたものだ。「マハーバーラタ」とは「バラタ族の戦争を物語る大叙事詩」を意味し、紀元前10世紀頃に起きた大戦争を語り伝えたものである。
ヴィマナ(空飛ぶ戦車)
atomic bomb
−− 「英雄アスワタマンは、自らのヴィマナ(空飛ぶ戦車)に断固とどまり、水面に降りたって、神々すら抵抗しがたいアグネアの武器を発射した。・・・矢の雨が空に放たれた。その矢の束は、輝く流れ星のように落下し、光となって敵を包んだ。突然、濃い闇がバンダヴァの軍勢を覆った。そのため、敵は方向感覚さえ失ってしまった。恐ろしい風が吹きはじめた。・・・空に雲がうなり、血となって降り注ぐ。自然の秩序そのものがかき乱されたようだ。太陽が揺れ動く。宇宙は焼け焦げ、異常な熱を発している。・・・水は蒸発し、その中に住む生き物も焼けてしまった。・・・雷よりも激烈に爆発したこの武器に、敵の戦士たちは猛火に焼かれた木々のように倒れた。この武器に焼かれた巨大な象たちは、あたり一面に倒れ、ものすごい叫び声をあげた。やけどをした他の象たちは、恐怖に狂ったようにあたりを駆け回った。・・・・・・・・「太陽が1万個集まったほどの明るい、煙と火がからみあった光輝く柱がそそりたった。それは未知の武器、鉄の石矢、死の巨大な使者だった。都市の住民は灰と化した。死体はひどく焼けていて見分けがつかなかった。髪の毛や爪は抜け落ちていた。落ち着きを失って空中で輪を描いていた鳥たちは、白くなった。食料は毒されてしまった。逃げ出した軍勢のあるものは自分の息子や父親、友や兄弟を戦車にのせ、またあるものはよろいを脱ぎ捨て、水で体や装備を洗った。」−−
あたかも現代の核戦争そのものを思わせる描写である。最後の部分は放射能汚染を思わせるのだ。

モヘンジョダロ遺跡を調査したダヴェンポート(左)とヴィンセンテェイ(右)
「リグ・ヴェーダ」の古写本
紀元前2500-2300年頃のインドの古代都市遺跡、モヘンジョダロは1921年、発掘者によって「死の丘」と不気味な名前をつけられた。従来の考古学的常識では説明のつかない多くの謎が残されている。そのひとつに、遺跡のあちこちに見られる埋葬されていない人骨の山である。路上や井戸端、さまざまなところに、うつ伏せあるいは仰向けになった状態で横たわっている。その異常さについて、発掘者ハーグリーブスは「これらの人々が、一瞬に異常な死を遂げたことは明らかである。」と報告している。また、インドの考古学者グーハ博士は、「白骨のグループのいくつかに、高温加熱の証拠を見つけた」と述べている。
ダヴェンポートは、現地の人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所で半径400メートルにわたって、黒いガラス質の石でびっしり覆われている場所を発見する。それは専門的には、トリニタイトと呼ばれる物質で、砂が高熱で熔け、固まってガラス状になったものである。トリニタイトの名前は、アメリカの核実験によって砂がガラス状になったところからきている。ダヴェンポートら二人は「ガラスになった町」こそ核爆発の爆心地と確信している。
モヘンジョダロの発掘現場 急激な死が訪れたことを物語る人骨


モヘンジョダロ爆心地で発見された壺(左)
広島の原爆あとのものと同じように熔けた状態だ。(下)
双方良く似ている。

(右)日本の原爆資料館の熔けたビン
火傷で死亡した広島の女学生
「ガラスになった町」の堆積物
黒いガラス質の石
滅亡したソドムとゴモラ
天から硫黄が降り注いだ町
旧約聖書「創世記」19章23−26
23、ロトがゾアルに着いた時、突如として日は地の上に昇った。
24,主は硫黄と火とを主のところすなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
25、これらの町と、すべての低地、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
26,しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。
27,アブラハムは朝早く起き、先に主の前にたった所に行って、
28,ソドムとゴモラの方、及び低地の全面を眺めると、その地の煙が、かまどの煙のように立ちのぼっていた。
23項の日が昇るというのは、閃光の比喩であろう。その後、熱線がソドムとゴモラを襲う。
多くの学者によって有名な「ソドムとゴモラの滅亡」も核爆発だったのでは、とする指摘がある。
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