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ピリ・レイスの古地図の謎


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ここに不可解な古地図がある。
アフリカ・カモシカの皮の紙に記された地図の断片2枚で、もっと大きな地図の一部であるふしも有る。回教暦919年(西暦1513年)ヌハーレムの月の日付があり、また、回教暦934年(1528年)の日付のものあり、ピリ・イブン・ハジ・メメッドの署名がある。この地図が発見されたのは1929年のことで、かつてトルコの首都であったコンスタンチノープル(現イスタンブール)のトプカピ宮殿内部からであった。
 妙な地図である。経緯度線はなく、いくつかの小円形から放射線が無数に引かれている。帆船や、ゾウやシカのような動物や、人間の姿などが描き込まれている。
大西洋とそれをとりかこむ南北アメリカ大陸、ヨーロッパの一部、アフリカ西部などが記されているのだが、陸地の形そのものにひずみがあって、ひどく不正確な感じがする。
 署名の主は通称ピリ・レイス、オスマントルコ帝国が無敵海軍を誇っていた時期の提督の一人で、有名な海賊ケマル・レイスの甥に当たる。回教徒の大海賊ハイルッディン・バルバロッサの下で活躍し、後にはカプタンというエジプトの総督同等の地位に昇ったが、敵と内通して賄賂をとったかどで、回教暦960年(1554年)にカイロで首をはねられている。一方、彼は優れた地図作成・編集者であり、現在ベルリン図書館に保管されている200余枚の地図を収録する海図集「パーリエ」も彼の編集によるものである。
 アメリカの古地図研究化家アーリントン・マラリーは、以前からこの地図に関心を持っていたのだが、米海軍水路部の協力を得て、綿密に調べなおし始めた。この古地図のひずみは、メルカートル図法以前の作図なので、座標の取り方に誤りがあるのではないかと考えられたのだが、第2次大戦中、アメリカ空軍が作成した正距方位図法という作図法による軍用地図の特徴によく似ていることがわかった。この作図法による地図は、地球という球面上を飛ぶ航空機にとっては、非常に便利なものだが、地形は空中から見た目そのまんまにひずみを生じる。この新しい作図法によるグリッドを古地図に当てがってみると、北アフリカの1地点(カイロ)の上空から地球を計測した場合とぴったり符号した。
 古代人は球面三角法(プトレマイオスの「アルマゲスト」・2世紀頃の天文学集大成・に掲載されている)
を知っていた。しかしそれが完成したのは、18世紀、オイラー(スイスの数学・物理学者)の時代である。
 マラリーは、他の学者や研究者たちにも呼びかけた。ワシントン市のジョージタウン大学では、この問題をめぐって公開討論会が開かれた。顔ぶれは、地震学者で、ボストン大学ウエストン観測所長ダニエル・リネハン、A・H・マラリー、米海軍水路部地図作成技師I・I・ウオルターズの3名だった。
 この討論会の模様はラジオで中継放送され、不可解な古地図の存在が注目を集めた。

 ニューハンプシャー州立キーン大学科学史学科教授で、地球運行についての権威チャールズ・H・ハプグッド教授は、学生による研究チームを指揮して、他の古地図類とも比較研究し、「古代の海の王たちの地図、氷河期における高度文明の明白な痕跡」として著書にまとめた。
彼はこう言う「これらはこれまでに知られている人々よりも前に、ずっと進んだ文明をもった人々がいたことを証明する、まぎれもない証拠である・・・
 この地図の謎のひとつは、南米大陸の南に、延々と延びている海岸線、これは、ウエッデル海からクイーンモードランドにかけての南極大陸の海岸線にある。南極大陸--その存在は、この地図の日付、1513年から300年もの後になって確認されたのだ。さらにもっと大きな謎、この南極の海岸線には、クイーンモードランドを主とする島の集合体が見られる。これらの島々は、現在では南極の厚い氷床下の高地となっている。つまり、この古地図は、南極がまだ全面的に氷床におおわれていない時代の地図ということになる。さらに、そこには未知の山脈があって、その高度まで記されているが、国際地球観測年に南極へ派遣された米国第43機動部隊が、地震波探査機で初めてその高度を有する山脈を氷床下に確認できたものだ。
 現代の地球物理学の推定によると、6000年前には南極にはまだ温帯地域が存在したという。したがって原図の年代は少なくとも6000年前ということになるが、この地図の南極の氷雪におおわれていない部分の広さ、その他の点から総合して、原図の年代は1万5000年前のものと推定せざるをえない。ハプグッド教授も、この地図は最後の氷河期(第4氷河期)以前のものと考えている。

 ピリ・レイスは自分の地図の付記に「一介の複写生」と自称しており、「余は20葉の古地図と、4人のポルトガル人の航海案内書と、コロンブスの書いた1枚の地図から出発して、この地図を作った] と書いている。また、彼が自分の地図の立案に当たって、「マッパ・ムンデス」と呼ばれるアレクサンダー大王の時代に存在した「人間の住むあらゆる世界が示されていた地図」を参考にしたことも明らかになっている。すなわち彼は自分の信頼できる古地図をすべて複写編集したのだ。そして左下に「今世紀にこれほどの地図を所有する者は一人もいまい」と記している。「マッパ・ムンデス」とはアラブ人がジャファリエとよぶ古地図で、アレクサンダー大王の時代に制作された世界地図である。
 「コロンブスの描いた1枚の地図」とは何を意味するのか?1501年、モロッコ沖でのスペイン艦隊との海戦で、ピリ・レイスは、おじのケマル・レイスの下で戦った。この海戦でケマル・レイスの部下はスペイン水兵を一人捕虜にした。この捕虜をピリはおじのケマルから貰い下げて奴隷にした。この水兵はコロンブスの探検に3回参加して、水先案内を務めたこともあると言い、その時用いたという珍しい地図を持っていたのだ。ピリ・レイス地図にある1513年という年代は、アメリカ大陸発見から20年ほど経っているが、新大陸に関する詳細な地図はまだなかった。しかし、ピリ・レイスの地図には、アマゾン川もベネズエラ湾も記載され、バイアブランカからホーン岬に至る南米も描かれていたのである。

 フランスの科学解説者ジョルジュ・ケトマンはピリ・レイスの地図について感想を述べている。「我々の祖先の文化を低く評価し過ぎるのも考えものだ。既知の古代文化とはまったく起源を別にする別系統の文化が、地球上のどこかで、我々の知らない時代に繁栄し、その技術者や航海者が、我々より早くアメリカ大陸や両極の探検を行っていた、という想像は荒唐無稽にすぎるのだろうか?


参考文献 古地図の謎 小泉源太郎




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